思いと行為

学び・考え方

長らく投稿をしていなかったのですが、久々に書きます。

情熱の矛先

研修講師として社会人や学生(主に体育会)の人の前で話すことがあるのですが、夢、思いと行為を結びつけるストーリーで研修プログラムをデザインすることを最近減らしています。例えば、入社した理由、三年後の理想の姿、それを踏まえて今の業務に紐づけるといった類のものです。理由としては、思いの解像度が低い人にとっては構造的に無理があると分かってきたからです。夢や思いを持ち続ける日々を過ごすことはとても大切ですが、それをできる人は本当にごく一部の人だということです。ほぼいないです。継続が非常に難しい思いと行為を結びつける構造に違和感を抱くといったところです。
逆にそれらがなくても、結果的に得意なことや優位性があるポジションで日々を過ごしている方には“行為に対する情熱”が非常に高いように感じています。別にプロサッカー選手になりたいわけではないけど、ボールを蹴ったり、友達と戦術を考えている時が好きといった感覚を強く持っている人の方が、継続して物事を続けられ、結果的に“無理のない何者”かになっていると思います。また、行為に関する情熱の自覚レベルも低いように感じていて、「自分にとっては当たり前」の感覚を帯びている人の方が多い気がします。

主体と受け身の間で

主体と受動の間を指す状態に中動態という概念があります。この概念を理解する例えで「惚れる」という行為があります。例えば、誰かに惹かれる時に自らが「この人を好きになるぞ」って考えているわけではない。しかし、いつからかその人の魅力に惹きつけられて、惚れるという行為が成立していて、たしかに「惚れている」わけですから能動的とも思えますが、同時に「引っ張られて」しまっているということです。英語表記の“fall in love”も自らが落っこちてもいるわけでもなく、受け身で落っことされているわけでもないといった状態です。

説明が長くなりましたが、、

多くのことは行為が先にあっていいのではないかと思っています。頭の中にある世界をベースにするのではなく、今目の前にある世界の中で行為を全力で繰り返すことが結果として、好きとや夢に近いものに繋がる時が来るのではないでしょうか。まずは「好きってわけではないが嫌いでもない」といったボーダーラインを超えているものは全力で。もっと他に良いことがあるなんて考えずに。
この目の前の世界でまずベストを尽くした方が結果的に「好きなこと」や「やりたいこと」の解像度が高まるというプロセスの話をしていました。

足立 潤哉

足立 潤哉

人材育成を生業としている30代後半の管理人が、純粋に“善い”と感じたものを残していくためのブログです。 活動拠点:茨城県つくば市

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